コロナ禍で、仕事や買い物、飲食などさまざまな生活を行う場所が自宅へと移っていった。いまやオンラインでの在宅ワークは一般的なものになった。しかしながら、医療サービスにおいては、遠隔地からオンラインでつないで従来同様のサービスを提供する仕組みがなかなか根付いていない。今回の新型コロナの感染拡大を受けて、オンライン発熱外来の設置や、初診からでもオンライン診療を認めるといった規則の改正など国も動き出してはいるものの、多くの診療領域でまだまだハードルが高いのが現実と言えるだろう。そうしたなか、特に不眠症の分野にフォーカスして、オンライン診療の普及を進めているのが、エーザイとMICINである。その目的と具体的なアプローチについて両社に話を聞いた。(以下、本文敬称略)
スタートアップのプラットフォームを利用した大手による新たな市場開拓型
実施内容の要約 | アプローチが難しかった顕在化していない不眠症患者に対する、服薬までを含めたシームレスなオンライン診療体験提供(エーザイ、MICIN) |
関わり方や提供物 | 不眠症薬やサイトプラットフォーム(エーザイ) オンラインで完結する受診導線の提供による受診ハードルの低下(MICIN) |
求める成果・ゴール | 既存とは異なる形での医療サービスを受ける場所の選択肢を増やす(エーザイ、MICIN) |
将来 | 予防・日常生活と医療の狭間をなくす(エーザイ) オンライン診療が当たり前の世の中に(MICIN) |
自宅で受けられる医療の選択肢をもっと広げたい
──まずは、エーザイにおけるオープンイノベーションの取り組みの経緯や目的などについて聞かせてください。
大桃 当社は1941年の設立以来80年以上の歴史を有するヘルスケアカンパニーであり、これまでは医薬品に軸足を置いてビジネスを展開してきました。企業理念を大事にしており、医療の主役は患者とその家族、生活者であると明確に認識し、そのベネフィット向上を通じてしてビジネスを遂行しています。そうした人々が日々抱えるさまざまな憂慮を解決するには、医薬品だけではなく幅広くヘルスケアのソリューションを提供しなければという考えのもと、新たなビジネスにも乗り出したのです。
さらに2021年4月にスタートした中期経営計画「EWAY Future & Beyond」では、顧客の憂慮を知り、取り除くための戦略を立案し、解決するというヘルスケアプロセスを磨き、一人ひとりの人生に寄り添っていくことも掲げています。その実現には、さまざまなスタートアップ企業とコラボしながら、人々の健康寿命の延伸と生活の質の向上に貢献していくことが欠かせません。そのためオープンイノベーションにさらに注力することとなったのです。
──そうしたなかでMICINとの協業はどのようにスタートしたのでしょうか。
大桃 草間氏と出会ったのは2020年初頭のことでした。我々は、将来的に「医療の提供場所が医療機関から自宅に広がる」と考えており、いずれは小売や映画、飲食などと同じように自宅で医療サービスを受けるという選択肢が当たり前になると見ています。しかし現在は、医療においては自宅という選択肢があまりに少ない状況にあります。高齢化に伴い自宅での医療サービスのニーズは拡大していくでしょうし、また就労層も日々忙しくなかなか医療機関にかかれないという人が増えています。
だからといって症状が悪化してから医療機関にかかるのでは、健康を損なうリスクが増えるのはもちろんのこと、医療費もより多くかかってしまいますよね。結果として、社会保障費が増大するという悪循環に陥ってしまうのです。そうならないよう、なるべく健康を阻害する要因を早期発見できるようなソリューションを模索していたなか、その1つをMICINさんとのコラボレーションによって実現できると考えました。
草間 当社は2015年11月に当時4人で創業したスタートアップで、「すべての人が、納得して生きて、最期を迎えられる世界を」というビジョンのもと事業を展開してきました。おかげさまで最近では従業員120人超を抱えるまでに成長しておりますが、その我々の事業の根幹となるのがテクノロジーだと考えています。
そうした数々のテクノロジーの中でもよく取り上げていただくのがオンライン診療のテクノロジーです。ただし、テクノロジーは有していても、当社が単独でできることは限られていますので、エーザイさんをはじめとした事業実績の豊富なさまざまな企業とのコラボレーションによって世の中の仕組から変えていこうと取り組んでいます。
オンライン診療サービスとのシナジーが強い保健事業にも進出
──MICINの事業内容について簡単に紹介してください。
草間 事業内容は大きく4つの領域からなります。まず1つがオンライン診療サービス「curon(クロン)」であり、エーザイさんとコラボレーションを進めているサービスはこちらになります。
curonは2016年4月に提供を始めたオンライン診療サービスであり、患者さんはスマートフォン、パソコン、タブレットから、医療機関側はパソコンまたはタブレット端末を使用し、予約から問診、診察、決済、処方せんや医薬品の配送手続きまでをオンラインで完結させることができます。
5000以上の医療機関(2021年1月時点)に導入されており、全都道府県で活用されています。また、当社が提供する薬局向けオンライン服薬指導サービス「curon(クロン)お薬サポート」とも連携しており、患者さんは同じ「クロン」アプリ上で、薬剤師によるオンライン服薬指導、決済、薬の配送サービスを受けられるようになっています。
この他にも、臨床開発デジタルソリューション事業やデジタルセラピューティクス事業を展開しており、2021年8月にはオンライン診療サービスとのシナジーも見込める保険事業も開始しました。
オンライン診療サービスは、患者さんが何らかの医療機関にかかるためのハードルを下げるべく、適切に医療機関へのアクセスを提供するのがポイントです。しかし当社単独ですべてを行うことはなかなか厳しいですから、疾患の専門性が高い各領域の製薬会社とのタッグはとりわけ重要だと考えています。
潜在的な患者へのアプローチからオンライン診療までをシームレスに
──両社によるコラボレーションはどういったきっかけで始まり、どのように進められているのですか。
大桃 不眠症の患者様をメイン対象としてコラボレーションを展開しています。当社では不眠症のさまざまな治療薬を販売しています。日常的に不眠の症状などを抱えている人は国内に3500万人もいるという調査もあるなか、実際に医療機関から処方された治療薬を服用している患者さんは500万人弱しかいないと言われています。
しかし、日本は先進国の中でも睡眠時間が圧倒的に少ないですし、そもそも寝ることに対してあまり積極的ではない文化が根づいています。我慢してしまいがちな国民性もあるのでしょうか。一方で世界を見渡すと、スリープテックは、課題が残るもののとても注目されている領域となっています。
先進国の中で日本のGDPだけがほとんど伸びていないというのも、こうした睡眠問題が原因の1つとなっているのかもしれません。そこで、日本のみなさんにしっかりと睡眠をとってもらったうえで、アクティブに生活を送ってもらえたらとスタートしました。
潜在的に不眠症状を抱えていながら、医療機関にかかっていない人々の割合は、我々の調査から30代男性と40代女性を中心に900万人いるのではと推測しています。この世代というのは、就労層や家事が忙しい層であるため、医療機関の受診ハードルが高いことがうかがえます。そのため、ハードルを下げてしっかりと不眠症の治療をしてもらいアクティブな日常を取り戻してもらいたいのです。
不眠症の潜在的な患者さんにどうアプローチしようか当社としてもずっと模索していました。例えば、市民講座を開いたりもしましたがなかなかうまくいかなかったです。もっと早く医療機関に受診いただき、適切な治療をすれば早くアクティブな生活を送れるのに……と悩んでいた頃、ちょうど今回の新型コロナウイルス感染拡大が始まる前ぐらいに草間氏と知り合ったのです。
草間 大桃氏と知り合った後に、コロナ禍となって世間のオンライン診療のニーズも急激に高まっていきました。しかしながら、不眠症の治療については先述したようなハードルがまだ残っているというのが現実だったのです。しかし規制当局も、コロナのオンライン発熱外来の普及などを受けて、オンライン診療にまつわる制度を緩和することとなりました。なかでも初診からオンライン診療が可能になったのは大きかったですね。
ここで、エーザイさんが得意とする、潜在的な未受診患者さんへのアプローチに期待したのです。そして潜在的な患者さんにアプローチできれば、オンラインからユーザー体験をつなげて医療機関にアクセスするまでを我々が担うことができます。つまり、それぞれの長所を生かしたソリューションの開発にコラボレーションしながら取り組んでいます。具体的には、不眠症の簡単なテストからその先のオンライン診療へとシームレスにつなげることのできるWebサイトをエーザイさんが運営し、その先のオンライン診療サービスを弊社が運営しています。
両社の強みを生かして医療と予防・日常生活の狭間もなくしていきたい
──最後に、今後のオープンイノベーションへの取り組み方針や、パートナーに対する期待などをお聞かせください。
大桃 オープンイノベーションで我々が求めているのは新規技術だけではありません。たとえ技術があってとしてもそれだけではイノベーションは起きないと思っていますから。結局は、サービスを受け取る側にある最終消費者の行動や価値観が変わってこそ、初めてイノベーションは起きるのでしょう。
そこで、スタートアップと手を組みオープンイノベーションを進めようとする際には、価値観や行動変容を一緒に起こしていこうという強い思いのある企業であると同時に、我々の企業理念に賛同してくれる企業であることを最重要視しています。こうした観点のもと、今も多くのスタートアップと会ってお話を聞いているところです。
あと、もう1つの価値として今後注力していきたいと考えているのが、予防・日常生活と医療の狭間をなくしていくことです。いま両者は価値観としてかなり離れている気がしているので、もっと生活の中に医療が入っていくことでそこも変えられるのではと。これについてもスタートアップと一緒に取り組んでいきたいですね。
草間 世の中に新しい価値を提供しようとするとなると、戦術ももちろん大事ですが、何よりもパッションがとても大切ですよね。そこを共有しながら困難にも一緒に立ち向かっていけるエーザイさんのような会社とタッグを組めるのは非常にありがたいですし、こうした輪がもっともっと多くの企業へと広がっていくといいな、と思っています。
JOIC オープンイノベーション名鑑
エーザイ株式会社 統合戦略本部 大桃和人氏×株式会社MICIN 草間亮一氏