政府は2022年をスタートアップ創出元年と位置づけ、イノベーション創出の鍵となるスタートアップを5年で10倍に増やすとしている。しかし、将来のイノベーションを生み成長を促すには、具体的にはどのような土壌づくり、支援が効果的なのだろうか。本シリーズでは、研究開発型スタートアップを中心に大学発、大企業発のプレーヤーを取材し、実際に起業や拡大過程で影響を受けたもの、役立った支援からイノベーション創出のヒントを探っていく。
2001年の慶應義塾大学先端生命科学研究所の誘致から始まった鶴岡サイエンスパーク。2003年に冨田 勝慶應義塾大学教授らによって創設されたヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(HMT)社を筆頭に、これまで9社のスタートアップが生まれ、そのすべてが存続し、成長を続けている。スタートアップは起業よりも事業を継続させることのほうがはるかに難しい。イノベーションのタネはどこから生まれ、事業を継続する力はどのように培われているのか。鶴岡サイエンスパーク所長の冨田 勝氏にお話を伺った。
慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長
冨田 勝氏
1957年東京都生まれ。医学博士、工学博士。慶應義塾大学工学部数理工学科卒業後、アメリカ・ペンシルバニア州カーネギーメロン大学コンピューター科学部大学院に留学し、人工知能の研究に従事。IT主導のバイオロジーを実践する研究施設として慶應義塾大学先生命科学研究所(先端研)の設立に携わる。1990年より慶應義塾大学環境情報学部助教授、教授、学部長を歴任。現在は慶應義塾大学先端生命科学研究所所長。2003年にヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(HMT)を創業。
支援に頼らず、自力でやる意識がないとベンチャー・スタートアップは続かない
──鶴岡サイエンスパークからはこれまで9社のスタートアップが生まれています。研究から事業化までの流れに何らかの共通点はありますか?
それぞれの創業者は若手中堅、学生、いずれも個の突破力によって生まれたものです。私が起業を促したことはなく、むしろ、もう少し大学で基礎研究してからのほうがいいんじゃないの? と心配するくらい。でも本人がどうしてもやりたいと言うなら邪魔をしない、というスタンスです。
彼らは彼らなりにお金を集めて会社を設立し、その9社はいずれもまだ存続しています。ですから、鶴岡サイエンスパークのスタートアップがほかのスタートアップとは違う共通点をあえて挙げるのであれば、全部自分でやるという覚悟があった、ということでしょうね。
──しかし、研究開発にはお金がかかりますよね。学生の場合、何らかの支援がないと起業は難しい気がします。
NEDOなど行政の支援はありがたい。けれども、支援や補助金があるなら起業する、という人は鶴岡にいません。支援があってもなくてもやると決め、そこに支援等があればありがたく利用させていただく。この順番がすごく重要だと僕は思います。補助金等ありきで起業するマインドの人は、起業はできても、死の谷(デスバレー)と呼ばれる厳しい状況に陥ったときにおそらく嫌になってしまうでしょう。
国や自治体などの補助金は大変ありがたいので、ぜひ続けていただきたいとは思うけれど、それに頼って起業する、というマインドでは難局を突破できないと思います。
──いわゆるIT系スタートアップはエンジェルやVC、支援者との交流で資金調達について学びますが、冨田先生は、資本の集め方についてはどのようなお考えですか。
僕は、起業するなら最初の資金500万円か1000万円は全部自分のまわりだけで用意するべき、と言っています。自分の貯金、親や親戚、友人、友人の友人からまず集める。親戚や友人といった100パーセント応援してくれる人たちからもその程度のお金を集められないのであれば、他人に出資してもらうのはおこがましい話でしょう。
そして次に1億円を調達する段階では、なるべくエンジェル投資家を探すことを勧めます。
慶應義塾150周年記念で寄附を集めたら250億円集まったと聞いています。なんの見返りもない寄附よりも、出資のほうが夢があるはず。未来の社会のための新しいイノベーションだ、ということがきちんと伝われば、1口1千万円くらいを出してくれる人はどこかに必ずいるはずです。
──助成金だけでは期間が短く、研究開発スタートアップなどは苦労していると聞きます。投資を受けるためのアドバイスはありますか。
自分でエンジェルを見つけようとしたとき、真っ先に探すべきは、地元の名士、小中高および大学の大先輩、関連企業の社長会長などですね。損得勘定をこえて応援してくれそうな人を、いろいろなツテをたどって探すのです。
ただNEDOから支援を受けることは金額以上の意味があります。NEDOの審査をクリアして国から支援を受けたという実績がその後のエンジェルや機関投資家からの資金調達にも効いてきます。
──こうした起業の心がまえはどこから醸成されているのでしょうか。
やはり先輩の背中を見ていると思います。第1号のHMT社は2013年に上場し、鶴岡市で唯一の上場企業として市民からの関心も高い。次のSpiber株式会社は未上場ながら資本金は数百億円に到達しています。代表の関山 和秀君はメディアにもよく出ていますし、起業をまちぐるみで応援する雰囲気があるんですよね。10社目のスタートアップが立ち上がるとすれば、おそらく地元紙が記事にするでしょうし、まちの人も喜びます。先輩たちの苦労を含めて、周りの人が温かく見守っている。そういった空気から、自然と起業を考えるのではないかと思います。
──鶴岡サイエンスパークは今や広大な施設ですが、開設時は1棟だけだったと伺っています。先生は当初から複数のスタートアップが生まれることを想定されていたのですか。
2001年に慶應大学の研究所ができたときは2階建ての小さな建物だけ、十数人のスタッフで始まり、拡大する計画はありませんでした。その後、国から予算が取れたこと、またHMTなどのベンチャーの立ち上がり場所が足りなくなったので、鶴岡市が2006年にインキュベーション施設を建てた。さらに、そこがいっぱいになったので、2011年にもう1棟が建ち、さらにスパイバーの本社を建て、スイデンテラスができ、と発展していきました。僕としては、こうなるとは全く予想していなかったし、トップダウン的に長期プランを立てたわけでもありません。基本的には、個の突破力がほぼほぼすべてです。上がおぜん立てしてやるようでは、やるほうも面白くないですし。
イノベーションにはダメ元精神が重要
──当初は想定していなかったとのことですが、やはりこうした新規事業創出を計画的に進めるのは難しいのでしょうか。
普通の人は手堅く利益を出すようなビジネスを計画しますが、利益を予見できるようなビジネスは前例があるか、せいぜいその改良版。しかし、イノベーションにはダメ元精神がとても重要です。三振してもいいからベストを尽くせ、という雰囲気であれば、大谷翔平選手のようなスターが育つ。大谷選手がホームランを狙って三振してもブーイングせずに、みんな応援しますよね。これが日本人に足りないマインドです。空振り三振すると怒られるから、確実にバットに当てようと考えてショートゴロになってしまうんです。ベストを尽くして負けたとしても、ナイストライ、と拍手喝采してあげないと誰もホームランを狙わなくなってしまう。
鶴岡でも、もし失敗したらどうなるか、という話は当然出ます。ベンチャーは100%うまくいくわけじゃないからベンチャーなのです。株式会社が倒産すると非常に残念だし、投資した人は大損するので申し訳ない。ただ、起業して技術開発してきた努力は無駄にはなりません。別の人が会社や特許を買い取り、続きをやってくれたら世の中には残るからです。意味のない失敗ではなく、少なくとも社会に貢献したことにはなる。そういう信念があるんです。
仮に多くの人から馬鹿にされたとしても、前向きの失敗には意味があります。自分の人生を賭けて、社会にとって絶対に必要と思われることをここまでやった、けれども続きはほかの人にゆだねる、と思えばいいわけです。鶴岡発のスタートアップは、こうしたマインドを持っているのが、大きな違いかなと思います。
人語(じんかた)飲み会からイノベーションのマインドが生まれる
──起業した9社全部が存続しているのも、こういった強い信念によるものかと。このマインドはどのように育まれているのでしょう?
「人語(じんかた=人生を語る)」と称する飲み会をよく開いています。「ビジネスって何のためにあるのだろう?」「そもそも人間はなんで生きているのだろう」と人生を深堀りして話をしていくとぼんやりと見えてくるものがある。慶応SFCに勤めて学生を受け持つようになった1990年から30年以上、月に2、3回はやっているので、もう1000回くらいはやっているんじゃないかな。例えば、卒業生とのプチ同窓会や研究会の合宿の夜に、明け方まで飲みながら人語をします。「人語」宣言をしたら、それ以外の話題を話すのは禁止。人生とは、という話のほか、サイエンスや政治の話もアリの「意識高い系飲み会」です。
会議室や教室では優等生的な発言になりがちですが、飲み会の席でなら変なことを言っても許される雰囲気があるから思い切ったことが言える。Spiberの関山(和秀)君たちの人工クモ糸をつくるアイデアも飲み会の席で言ったのが始まりです。もし会議室で同じ発言をしたら、「すでにNASAがやっているし、君たちはどういう戦略でやるんだ?」と馬鹿にされて終わってしまう。飲み会だからこそ、盛り上がっていろいろなアイデアがぽんぽん出る。その9割はただのアイデアで終わってしまうけれど、それでもいいと思う。
──私も参加させていただきましたが、人語は実際に体験した人にしかわからない面白さがありますよね。
意識の高い飲み会は、盛り上がるとエンドレスになるくらいに面白い。日本人はなかなか友人や仲間と意識の高い話をする機会がないけれど、本当はしたいんじゃないかな。
大前提として、絶対に善いというものはありません。多くの人がいいというものはあっても、一部の人は違う意見を持っている、と最初に宣言すると話しやすい状況になります。最初のうちはほかの人の話を聞くだけで終わるだろうけれど、そのうちぽつりぽつりと自分の意見を言うようになる。こうしたカジュアルな人語の積み重ねからマインドが醸成されていくのではないでしょうか。
──東京と鶴岡とで違いは感じますか?
鶴岡には「慶應の研究所だからいいかな」という中途半端な研究者がいない。茨城や静岡であれば東京から通えるかもしれないけれど、山形にはさすがに通えませんから、研究をするために思い切った決断をして引っ越してくるわけです。来たからにはやるしかない。この絶妙な距離がいいスクリーニングになっています。もうひとつは鶴岡は食の都で、庄内料理を食して地酒を飲むこと自体が文化的な活動なわけです。飲みに行って人語をするにしても東京とは少し雰囲気が違う気がします。移動はほとんどクルマで帰りは運転代行なので、終電を気にすることもなく、腰を落ち着けて人語ができます。
──HMT、Spiberからメトセラ、MOLCURE、と続いています。具体的に何かを教えられずとも、後輩たちに何かが伝わっているように思います。
例えば、研究会の新人向けのプレゼンや市民講座でSpiberなどの話をよくします。人語飲み会は人数が限られますが、講演で話を聞く機会があるし、雑誌や新聞記事に載ることで刺激を受けるんだろうと思います。Spiberの関山君は「利益を出すのは手段に過ぎない」とずっと言っていて、綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、彼は本気でそう思っているんです。そういう人って日本では珍しく、エンジェル投資家も応援したくなるのでしょう。関山君がどんどんスターになっていくのを見て、強い信念を持ってやるのはカッコいいだけじゃなく、成功する秘訣かもしれない、とあこがれるんじゃないかな。
一方で、現実をしっかり見ることもすごく重要。理想は現実から始まりますから、理想に向けてまっしぐらになるのは残念で、足元の石につまづかないようにすることも同時に重要です。理想と現実の折り合いをどうつけるか。それが人生なのだと私は思います。
学生時代の友だちが多い人ほど起業しやすい
──足元の話と言えば、経営面の支援も課題です。CXO人材はどのように補っていくのがいいでしょう。
ビジネスは大事だけれど、必ずしも創業者が経営ノウハウを持つ必要はなく、信頼のおける副社長やCXOをうまく呼んで一緒にやればいいというのが僕の考えです。ただ、共同創業者やCXOは、無条件で信頼のおける人じゃないとダメだと思います。会社が大きくなればプロと契約することもありうるでしょうが、最初のうちは学生時代の友達がいい。Spiberの場合は研究室の2人と、公認会計士の資格を取ったSFCで同学年の友達との3人で創業しました。部活で一緒だった仲間、遊び友達など、損得勘定のない信頼関係のある友人をたくさん持っている人は起業しやすいと僕は思います。だから、若いうちは金を貯める暇があったら友達を増やせ、と言っています。
──それはほかの地域でも再現性がありますね。
ビジネスの契約はメリットデメリットで考えざるを得ない。しかし、イノベーションを起こすには損得勘定だけで契約は結べません。前例があればメリットデメリットを計算できるけれど、そもそも前例がないことをやるのだからメリットデメリットがわからない。そうなると人物が信頼できるかどうかがすべてです。そのときに契約相手が友達なら、あっという間に決まりますよね。
ほかの会社と連携するときも、大代表に連絡して一からステップを上がっていくよりも、社内の友達に連絡するほうがずっと早い。友だちのネットワークはすごく大切。日本は、コネや伝手は潔しとしない文化がありますが、僕は合法であれば使えるものは全部使え、と学生たちに言っています。
──鶴岡サイエンスパークから今後もイノベーション、スタートアップが生まれ続けていくと思われますか?
「10社目はいつですか?」とよく聞かれますが、数じゃないと思っています。20年以上前、当時の鶴岡市長が慶応の研究所を誘致して、かなりの税金をかけて鶴岡サイエンスパークを作った目的は新産業の創出です。研究所なのですぐには経済効果はでませんが、30年後を見越した種まきだと。あえて比較すると、トヨタの豊田市、日立の日立市です。豊田市にトヨタの次は何? と聞かないじゃないですか。20社できるよりも、日本を代表する会社が1社か2社出るほうが重要です。しかしそれにはものすごく時間がかかる。豊田佐吉が豊田商店を作ったのは、1895年と言われていますが、従業員が1万人になるまでに60年かかり、今の30万人の企業になるまでさらに60年かかっている。今は昔よりもスピードが速いとしても30年はかかるでしょう。30年後のために今からなにができるのか。僕としては新しい会社を作るよりも、今ある会社にがんばってもらい、世界に羽ばたいてもらうことのほうが100倍くらい重要だと思っています。
研究開発型イノベーション創出のケーススタディ
鶴岡発スタートアップの継続する力はどのように醸成されたのか