政府は2022年をスタートアップ創出元年と位置づけ、イノベーション創出の鍵となるスタートアップを5年で10倍に増やすとしている。しかし、将来のイノベーションを生み成長を促すには、具体的にはどのような土壌づくり、支援が効果的なのだろうか。本シリーズでは、研究開発型スタートアップを中心に大学発、大企業発のプレーヤーを取材し、実際に起業や拡大過程で影響を受けたもの、役立った支援からイノベーション創出のヒントを探っていく。
企業の保有する技術や人材、知財を活用した新価値創出の手法として、スピンアウト/スピンオフ、カーブアウトが注目されている。しかし、経営経験のない日本の大手企業の社員にとって、起業へのハードルは高い。企業発スタートアップを促進するには、資金面以外にどのような支援が求められるのか。富士ゼロックス発のスピンアウトとして注目された株式会社CyberneX CEO 馬場 基文氏に起業の経緯、資金調達や支援の活用について伺った。
株式会社CyberneX CEO
馬場 基文氏
1997年 富士ゼロックス株式会社入社、総合研究所にて将来価値に繋がる技術を数多く発明。2004年から同社の中核商品技術開発を牽引し、発明技術を商品に多数実装。2016年以降は、商品開発本部、研究技術開発本部の部長職としてIoT/AI領域で社外との戦略的パートナーシップを構築し、同社の新たな価値創出を牽引してきた。特許出願は国内外290件以上に及び、発明技術の商品実装による所属元企業と社会還元への貢献額は推定4600億円以上にのぼる。この実績が評価され、全国発明表彰発明賞、文部科学大臣表彰科学技術賞、関東地方発明表彰日本弁理士会会長奨励賞等の受賞歴多数。2016年より同社の既存事業外での新収益獲得を目指し、外部共創による0→1価値の創出活動を開始。脳波イヤホン、コミュニケーションロボット、AI対話など、新たなコミュニケーションの未来を生み出すための技術探索と価値検証を実施してきた。2020年5月、この取り組みの事業化を継続させるためにスピンアウト、所属元企業から知的財産権(技術資産と特許資産90件)の譲渡を受けて法人を2社設立。現在に至る。
脳情報を日常活用する未来へ向けて、研究開発型から活用サービス開発へと事業をシフト
株式会社CyberneXは、富士ゼロックスの脳研究技術開発チームがスピンアウトしたブレインテックスタートアップだ。独立時に国内外80件以上の関連知財を買い取っており、親会社との資本関係を持たないスピンアウトの事例として多くのメディアで取り上げられた。
2020年の設立当初は、イヤホン型Brain Computer Interface(BCI)「XHOLOS(エクゾロス)」を使って脳データを収集する研究開発支援事業としてスタート。次に、取得したデータからリラックス状態や集中状態といった脳の状態を可視化する解析エンジンを開発。さらに、行動変容につながる活用サービスの開発へと進み、現在は脳情報活用BCIプラットフォーム「XHOLOS」を中心とした1)脳情報活用支援サービス、2)リラクゼーション事業、3)ソリューション事業の3つの事業を展開している。
脳情報活用支援事業として多数の大手企業との協業で事業開発に取り組む一方、自社でも麻布広尾にリラクゼーションサロン「Holistic Relaxation Lab XHOLOS」を2022年6月にプレオープンして実証を兼ねたサービスを提供。同サロンでは被施術者が脳波デバイスを装着し、アロマ施術中のリラックス状態をライトの色で表示することで、施術者と会話をしなくても気持ちよさを伝えられる。さらに、施術中のリラックス状態のレポートをフィードバックすることで顧客体験を強化できる。リラクゼーションサロンでの実証の結果、人間の無意識状態を強い自己認識に変えることで、アロマ購入など行動変容につながることがわかってきたという。2022年11月22日からは正式オープンとし、継続してサービスを提供しながらデータを蓄積していく計画だ。
サロンで生のデータを収集することで、人間のリラクゼーション状態が個人によって異なることもわかってきた。タイプ別の分類、リラックス後にパフォーマンスが上がることなども知見としてたまっているという。
「脳の状態から人間の生活が少しずつ見えてくる、というのは大きな気付きです。自分の意識している状態と無意識状態の両方を正しく理解できれば、誰よりも自分のことをわかってくれるAIが作れる。これが究極に進むと、休むタイミングや仕事の取り組み方、コミュニケーションの取り方を教えてくれる、そんな心強いパートナーとなって人間に寄り添うパーソナルAIが登場します。私が目指すのは、ひとりひとりの人間が最高の状態になれるようにAIが支援する世界です」と馬場氏は語る。
こうした世界観は富士ゼロックスの在籍当時から持っていたそうで、馬場氏が感銘を受けたというXEROX創業者のJ.C.ウイルソン氏の言葉「我々の事業の目的は、より良いコミュニケーションを通じて、人間社会のより良い理解をもたらすことである」、またパーソナルコンピューターの父と呼ばれるアラン・ケイ氏の名言「未来を予測する最善の方法は、それを開発することだ」にも通じるものだ。
イノベーションを起こす知財は10年前に出願されている
富士ゼロックスで2016年から取り組んでいた脳研究の成果を事業化するために、馬場氏らのチームが独立する形でCyberneXを創業。その際に90件以上の特許を買い取っている。
「知財は10年構想で2017年から2020年にかけて10年先に使われる知財を戦略的に出願しました。今の事業に一部は使い始めていますが、まだこれから。我々は将来的にこの事業への参入が想定されるGAFAなどの巨大IT企業が主要のターゲット。同じように脳波を測っているスタートアップは、共にブレインテックを切磋琢磨しながら開拓し、健全に競い合う仲間でもあります。巨大IT企業が脳情報を使ってビジネスを始めたときに、我々が彼らと対等以上に戦えるために、ビジネスをする権利として知財を保有しておく必要があります」
特許への投資は、短期的な利益につながらないが、莫大な資力を持つ海外企業と勝負するには知財は必須だ。
「大きなイノベーションを起こした発明が何年前に出願されたのかを分析したら、10年前に出されているものが大粒の特許になっていることがわかったのです。発明は、今使っているもの、今コアになっているものだけではなく、この先の未来に使われるであろう、世界観に対して作っていかないといけない。Ear Brain Interfaceに関する知財は我々が所有している知財のうちの1~2割程度です。我々は脳だけに限らない生体情報全般で出願しています」
しかし、大企業は簡単には保有知財を手放してはくれない。馬場氏は、富士ゼロックスの社長に直接交渉したそうだ。
「『私が退職したあと、この知財はどうするんですか?』とたずねたところ、『無用なので使わない』とのことでしたので、『それでは私に売ってください』と。意思決定が明確にされたのがポイントです。CyberneXをスピンアウトのモデルケースにしていきたい。知財を大企業が使わないのであれば、譲渡するスキームを作ることが大事。使わないのに保有だけしておくのはムダ。出して活用するか、もし知財に可能性があると考えるのであれば出資する、という形を整えることが日本の大企業の当たり前になるといいと思っています」
知財譲渡の契約は内田鮫島法律事務所の鮫島 正洋氏が支援し、現在は技術法務担当顧問弁護士として参画している。メインVCである三井住友海上キャピタルも鮫島氏からの紹介だ。
この知財をスピンアウトするノウハウを広げるため、馬場氏はCyberneXと同時に株式会社Agama-Xを創業している。Agama-Xは馬場氏が富士ゼロックスで手掛けていた新しい価値創造 の取り組みを社会に還元することを事業目的に設立した会社だ。
「Agama-Xで私が実践してきたイノベーションスキームや知財戦略のノウハウを社会に還元して日本の企業を強くする。その実績事例としてユニコーンを目指すのがCyberneXです。この起業構想はスピンアウトするときに設計しました。これも賛否両論でしたが、この構想でなければ、自分がやっていきたい社会貢献はできないと確信していたので、周囲からなんと言われようとこの形での起業を貫き通しました」と馬場氏。
スタートアップ仲間、支援者とのつながりを力に資金調達や人材獲得を実現
CyberneXは、2020年度と2021年度の経済産業省の大企業人材等新規事業創造支援事業費補助金(出向起業等創出支援事業)に採択されている。同事業への応募の目的やその後の資金調達について伺った。
「出向起業等創出支援事業は、当時経済産業省で同事業を推進していた奥山恵太氏の大企業からの起業に支援したい、という思いに共感したのが応募のきっかけです。起業時にかかるお金を補助していただけるとともに、同じようなスピンアウト、カーブアウトの仲間たちとつながることができたのが大きかったです。仲間がいることで、大海原に出ていく怖さを軽減してくれる勇気を与えてもらえました」
上述の奥山氏はスピンアウトをさらに後押しするため、経済産業省を退職して2022年9月に出向起業スピンアウトキャピタルを設立している。大企業の社員は、起業家の知り合いが少なく、起業に対する不安感が強い。大企業からのスタートアップを増やすには、資金面だけでなく、ネットワーキングの支援も大切だ。
その後、政策金融公庫の創業融資を受け、2021年9月には横河電機株式会社からの資金調達を実施。2022年からはVC2社からも資金を調達している。
「事業会社とVCの両方をバランスよく活用しています。事業会社側は長期的な視点で研究開発を重視しますが、VCから出資を受けると、きちんと利益を還元しないといけない。企業の成長には両面を鍛えていくことが大事なので、出資を受けながら学ばせてもらっています」
社員も創業時の2人から12人へと順調に増えている。資金調達、人材の確保も当初予想してたほどには苦労しなかったそうだ。
「人には恵まれていますね。スタートアップコミュニティとつながり、影響を受けることが非常に重要だと感じます。出資関係のないVCの方々からも応援していただいて、すごく助けられています。そういう関係性はスタートアップの良さですね。VCとの壁打ちよりも、人と人の信用でつながった出資や出会いのほうが親和性があり、うまくいくように思います。人とのつながりで話を聞いてくれた方がファンになり、不確定なものに投資してくれる。創業時は不確定要素が高いので、賭けてくれるのは人の信用の部分。結局は人とのつながりに帰着する気がします」
ネットワークを広げるため、ASAC、Well-being X、Plug and Play Japan、イノベーションリーダーズサミット、ICCパートナーズなどの外部プログラムにも積極的に参加している。採択されることで、スタートアップや大手企業、投資家、支援者など多彩な人脈につながり、メディアへの露出も増える。プログラムで知り合った企業との商談に進むケースもあるそうだ。
大手発のスピンアウトとして創業から2年、さまざまな経験を重ねたいま、大企業発のチャレンジをしたい人に向けてメッセージを聞いた。
「いかに人と違うことをやるか。違う考え方に立つか。みんなの常識を逸脱したことをやっていると批判もたくさん受けます。さんざん非難されて、嫌な思いもたくさんする。それでも自分がやりたい、勝てると本気で思い、貫けるかどうか。本当にイノベーションを起こしたいなら、そういう道を通らないといけない。応援してくれる人は、その覚悟に賭けてくれているように思います。張ってくれた方たちのためにも自分たちはやりきり、成果を出して恩返しをする、という強い関係性を築いていきたいですね」
CyberneXでは、脳情報の日常活用を広げるため、脳情報を活用した商品やサービスの開発を支援する「脳情報活用支援サービス」のパートナー企業を募集している。さまざまな企業にデータの取得、解釈、活用までをサポートする「Works with XHOLOS」パートナーシッププログラムとして提供し、継続的に脳データを収集することで活用のユースケースを増やし、ブレインテックを盛り上げていく計画だ。
研究開発型イノベーション創出のケーススタディ
大企業スピンアウトからブレインテック/ニューロテックを牽引するユニコーンを目指すCyberneX