政府は2022年をスタートアップ創出元年と位置づけ、イノベーション創出の鍵となるスタートアップを5年で10倍に増やすとしている。しかし、将来のイノベーションを生み成長を促すには、具体的にはどのような土壌づくり、支援が効果的なのだろうか。本シリーズでは、研究開発型スタートアップを中心に大学発、大企業発のプレーヤーを取材し、実際に起業や拡大過程で影響を受けたもの、役立った支援からイノベーション創出のヒントを探っていく。
日本の優れた技術や人材は大企業に集中しており、グローバルで勝つ事業創出には大企業のリソース活用は有効な手法のひとつ。株式会社PITTANは、東京大学 角田誠氏の生体分子分析技術をコアに健康美のコンディショントラッキングサービス開発に取り組んでいる。2022年度はNEP事業に参加、2023年度は分析装置メーカーの島津製作所の児山浩崇氏も参加して、ヘルスケアサービスを本格稼働する予定だ。日本のディープテックスタートアップが研究開発に必要な資金、人材、設備を確保していくための支援や制度について、株式会社PITTAN CEOの辻本和也氏と児山浩崇氏、島津製作所 常務執行役員 稲垣 史則氏、出向起業スピンアウトキャピタル 奥山恵太氏らに話を伺った。
株式会社PITTAN 代表取締役CEO
辻本 和也氏
京都大学でMEMS分野を研究し、修士・博士課程を修了。機器の小型化技術を社会実装するため、東京エレクトロン株式会社の研究部門に入社後、京都の半導体メーカーであるローム株式会社に転職。その後、大企業のもつ技術をより効率的に社会実装してイノベーションを創出したいと考えるようになり、コンサルファーム、VCを経て、2022年にスタートアップスタジオを友人と設立。そのパイロットプロジェクトとして自身がEIR(entrepreneur in residence)としてPITTANを創業。東京大学の角田誠氏の協力のもとにヘルスケア分野での事業化を進めている。
微量の汗によるアミノ酸分析技術×超小型・高速分析装置で
体内のコンディションを簡便に測定するヘルスケア市場を開拓
PITTANは、東京大学准教授 角田誠氏の生体分子分析技術をもとに、ごく微量の汗から得られる情報から健康美に必要な栄養状態を見える化するヘルスケアサービスの事業化を目指している。
汗には肌の健康美に重要なアミノ酸成分が多く含まれており、体調や年齢、性別によってアミノ酸プロファイルが変化するという。角田氏のごく微量の体液から簡便にアミノ酸を分析する技術を用いれば、肌から自然に蒸散される程度のわずかな汗で計測が可能だ。同社の汗分析サービスは、肌に5分間独自開発のパッチを貼って汗を採取し、同社のラボにて分析。機械学習で波形を解析した汗中のアミノ酸プロファイルからコンディションを見える化する仕組みだ。
ウェアラブル型の活動量計など日々の健康状態を可視化するサービスは市場としても拡がっているが、これらの機器では体の中の栄養状態まではわからない。体液から取得できる情報量は多く、体の中のスクリーニングが可能となる。
汗は採血などに比べて侵襲度が低く極微量であれば検査への抵抗感が少ないことから気軽に計測できる。将来的には薬局の店頭やスポーツジムで血圧を測るような感覚で気軽に健康チェックができるように、小型かつ簡便に使える超小型オンサイト分析装置の開発にも取り組んでいる。
まずは健康美をテーマに、測定結果から生活習慣や食事、サプリメントの提案といったサービス展開を想定している。一方では、疾病、炎症のスクリーニングへの活用へ向けて、大学の医学部などと協力しながらデータ収集を進めていくそうだ。
スタートアップスタジオ発のプロジェクトとしてPITTANを創業
──まず起業の経緯からお聞かせください。
辻本:大学ではMEMS(微小電子機械システム)を研究し、さまざまな機器を小型化する技術を社会実装していきたいと考えていました。大学卒業後は、大手メーカー2社で研究開発から製品の量産まで担当しました。エンジニアとしてのやりがいは感じていましたが、もともとイノベーション創出に強い想いがあったので、大企業のリソースをより効率的に社会実装するため外から大企業を変革することを動機にコンサルファームに転職。その後、京都のMonozukuri VenturesというVCに入社して、キャピタリストとしてスタートアップの世界に飛び込みました。昨年、ディープテックに軸足を置いたスタートアップを作るためにスタートアップスタジオ(注1)を設立し、そのパイロットプロジェクトとしてPITTANを創業しました。
※注1
スタートアップなど新しい事業を創出するための人材、資金、ビジネスモデルの磨き上げなどを自ら行う組織。
──汗分析サービスについて、既存の検査サービスに対する優位性についてお聞かせください。
辻本:我々の微量の体液による分析技術は、おそらく他のプレイヤーには真似できません。唾液による遺伝子検査などはすでにありますが、あくまで先天的な傾向を知るためのもの。日々の生活習慣の結果として改善または悪化しているのかどうかがわからないので、健康管理のための検査サービスとしては、我々の汗分析は有用な手法だと考えています。
また、我々が重視しているのが簡便さです。超小型装置の開発も、簡便さを目的としたものです。今の検査方法はサンプルをラボに送り、検体分析にも1時間ほどかかります。小型デバイスが完成すれば、測定から10分~15分後には結果がでるので、数年後にはドラッグストアやスポーツクラブ、エステサロンでオンサイトで測定して生体分析を習慣化させていきたいです。
──東京大学の角田先生や児山氏との出会いは?
辻本:児山さんとはMEMSの研究者として以前から交流があり、具体的にスタートアップを立ち上げるために相談したところ、東大の角田先生を紹介してもらいました。私自身、大学のころから小型化の技術をヘルスケアや医療に活用したいと考えていたので「これだ!」と。ただ、児山さんも角田先生もいきなり兼業はできないので、2022年度は私ひとりで会社を立ち上げ、2023年4月からメンバーを増強して本格稼働していく計画です。
角田先生は4月から取締役に就任いただく予定で東京大学に兼業申請をしており、児山さんにもできれば出向起業(注2)で関わっていただきたく、(出向起業スピンアウトキャピタルの)奥山さんにアドバイスをいただきながら、児山さん自身も島津製作所の社内でご相談いただいている状況です。
※注2
大企業内では育てにくい新事業について、当該大企業社員が、辞職せずに外部からの資金調達や個人資産の投下を経て起業し、起業した新会社に自ら出向等によりフルタイムで経営者として新事業を開発すること。また、子会社・関連会社ではないこと(起業するスタートアップの株式のうち、当該出 向者の出向元大企業の保有率が20%未満であること)が条件。
──スタートアップスタジオとして、大学のシーズをもとに創業する形は、海外の事例を参考にされたのでしょうか。
辻本:参考にしたのは、COVID-19のワクチンで世界的な有名企業になったモデルナです。最終的には日本でモデルナ級の企業を創出するのが目標ですが、もちろん米国のスタイルをそのまま日本に持ってきてもうまくいきません。日本は大企業側に優秀な人が集まっており、数十年の歴史で培われた技術を持っています。そこから一部を出島として出していただくことで、より大きな産業を創っていけるのではないでしょうか。個のプレーヤーに寄ったものよりも、大企業のリソースを持ち寄るような、日本独自のスタートアップスタジオが必要だと考えています。
創業メンバーの獲得は資金調達にも大きく影響する
──事業化に利用した支援制度で役に立ったこと、改善してほしいことは?
辻本:技術開発では、角田先生からアドバイスをいただき、来年度から共同研究を行う予定です。
NEDOの支援では、起業直後にNEP-Aに採択いただきました。補助金の500万円のうち350万円は島津製作所の分析機器でほとんど使ってしまったのですが、資金面以上にカタライザーである八重樫馨氏からのメンタリングで学ぶことが非常に大きかったです。マインドの持ち方、大企業との付き合い方をアドバイスをいただけました。いろいろな人をご紹介いただき、人的なサポートもとてもありがたかったです。
課題を感じたのは、日本にはディープテックの研究開発に求められる分析機器がそろっている公的なラボ施設が少ないことです。ようやく神戸のスタートアップ・クリエイティブラボ(SCL)との仮契約にこぎつけましたが、空きが少なく、このような施設が不足していると感じています。創業フェーズでは必要な設備や機器を十分に自費でまかなえないので、民間のリソースを使わせてもらえるような制度づくりなど、シェアラボの拡充をお願いしたいです。また、スタートアップ同士が知見をシェアできるようなコミュニティも不足しています。
──VCからの出資がすでに内定されているそうですが、資金調達ではどういった点を意識してアピールされていますか。
辻本:我々は技術に絶大なる自信を持っていますが、私自身がキャピタリスト時代に評価していたポイントは、事業性です。Techstars(注3)などのメンタリングを受けながら、ビジネスモデルを意識して磨いてきたことで、将来的には大きな市場が拓けるだろうという期待感を持っていただけたように思います。
またいちばん大事なのはメンバーです。生体代謝物の微量分析で世界トップクラスの角田先生、博士号を持ちつつコンサルやVC経験もある辻本、海外SaaSスタートアップでの事業開発とマーケティング経験も豊富な前田さんに加えて最先端の研究を実用化するために島津製作所でエンジニアをしてきた児山さんがジョインする可能性は資金調達時に評価される点です。複数の大手企業からも副業や出向などを含めて参画してもらう予定です。
スタートアップの場合、技術があってもビジネスモデルを実行するメンバーの不足から資金調達につまずくケースがよく見受けられます。私の場合、ネットワークをうまく使って人を紹介してもらい、こういう世界を創っていきたい、というビジョンを熱心に伝えて、資金調達でフルコミットしてもらえるまでは、ボランタリーで関わってもらえる状況を作っていきました。
※注3
PITTANはJETRO主催「2022年度スタートアップシティ・アクセラレーションプログラム」のGlobal Scaleコースに採択。世界規模の著名アクセラレーターであるTechstarsのメンタリングや米国視察のプログラムに参加している。
小型デバイスの早期実装へ向けて、出向起業や島津製作所とのコラボを模索
──島津製作所として児山さんは、現在どのようにPITTAN関わられているのでしょうか。
児山:私は大学のころからどうすれば科学技術をもっと身近に、SFのような世界を実現できるのかをずっと考えてきました。島津製作所に入ったのもそのためですし、今もその実現に向けて研究開発に取り組んでいます。辻本さんとは、装置の小型化を含め、いかに分析サービスを民主化し、ラボから外に出して人の近くで使ってもらうかという部分で意気投合しました。副業として間接的にサポートする方法もありますが、課題を解決していける人材になるには、外に出る必要があると考えており、出向起業制度(注4)をうまく利用して参画できないか調整しているところです。
※注4
経済産業省 令和4年度「大企業人材等新規事業創造支援事業費補助金」に基づき、出向起業を活用して新規事業開発を行うにあたり、事業開発活動費用の一部を補助する制度。
──NEPの参加ではどのような成果がありましたか。
児山:角田先生と私が装置の小型化のノウハウを持っていたので、当初は装置をビジネスの中心に考えていました。NEPのメンタリングを受けてよかったのは、装置開発がビジネスの足かせになってしまうと気付けたことです。装置は原価が高く、開発期間もかかるため、完成を待っているとスタートアップは死んでしまう。サービスで稼ぐことから着手し、また承認が必要な医療系のサービスは数年後に見送り、ライトなビューティヘルスケアから始めることにしました。いかにお金を稼ぐかは、一企業の研究者である私の頭になかったので、この部分は事業開発経験のある辻本さんと前田さんがいたことが大きいです。
──そのような小型デバイスは二の矢になる事業とはいえ、すでに「S-booster2022」で受賞もされており、こちらも期待感があります。
辻本:S-booster2022は、宇宙という五の矢くらいの話のためスピンアウトプロジェクトという位置付けで、チーム名「SpaLCe」として参加しました。小型化により新しい市場を切り開ける可能性を高く評価いただき、ソニー賞とNEDO賞をダブル受賞させていただきました。開発中の超小型オンサイト分析装置は、ヘルスケアだけでなく、環境分析や宇宙でのオンサイト分析にも活用できる可能性を秘めています。新しい市場の広がりは我々の将来の成長にも影響するので、なんとかして開発を進めたいと考えています。ただ、小型デバイスの開発は児山さんの力にかかっていますので、その後の疾病スクリーニングを含めて、島津製作所との連携も検討しています。
──上記に関連して、島津製作所としてのスタートアップに関わる施策、出向起業についてのお考えについてお聞かせいただけますか。
稲垣:スタートアップとの連携の取り組みは、4年前に株式会社Monozukuri Venturesのファンドに出資したのが始まりです。そこから多くのスタートアップと弊社の事業部や研究所とマッチングをしましたが、うまくいった例はなく、なかなか難しいというのが現状です。
社内の技術者と同じ領域のスタートアップとでは意見が合わないことも多く、うまくつなぐために来年度からはCVCの立ち上げを模索しています。
児山さんが島津製作所の社員として出向する場合、当社の事業にとって長期的にメリットがあるかどうかを判断する必要があります。社内でも小型装置の事業戦略を議論していますので、PITTANとうまくコラボできれば、と考えています。
──続いて奥山様にお伺いしますが、大企業のエンジニアが出向起業制度を利用してスタートアップを創業するケースは増えているのでしょうか。
奥山:私は2022年の夏まで経済産業省で出向起業制度を担当していました。出向起業は、大企業の技術者が自分で出向する制度です。まさに児山さんのように、技術者としての専門性をもって自ら起業、あるいは創業者の一人として経営に参画される方がこの制度を活用されています。
例えば、株式会社ブライトヴォックスは、リコーで研究開発されていた3D映像をメガネなしで投影する技術を社会実装するために、エンジニアが出向起業制度を利用して設立した会社です。メーカーのアセットを活用しながら、大企業の方が会社を辞めずにスタートアップの創業者の一人として参画する事例がいくつか出てきています。
これまで32例が出向起業制度を利用して起業していますが、大企業の社内規定に違反したというケースは今のところなく、通常の出向と変わらない契約で出向起業できています。児山さんもぜひこの制度を活用して創業者の一人として活躍していただきたいです。
──最後に大企業からの出向起業、コラボをうまく進めていくためのアドバイスをお願いします。
稲垣:経営戦略を構築する立場としては、中長期的に私どもの会社にとってメリットがあるのかないのかで判断します。社内でも先の事業として考えていますから、PITTANと協業したほうが中長期的にメリットがあると考えれば、いいコラボができると思います。当社の関係部署との関係をうまく構築することがいちばんのキモになるでしょう。
研究開発型イノベーション創出のケーススタディ
スタートアップスタジオ発のディープテック創出